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『金持ち父さん貧乏父さん』 ロバート・キヨサキ

カテゴリー : お金関連,本・雑誌・漫画,若手社会人時代 — 2001/07/23

世の中には資本家と労働者がいるから,労働者ではなく資本家になれという本。資本家になる方法とは,株を買ったり,不動産を買ったりとか。

この人は,「ある不動産を買った。それが買ったときより高く売れたので,別の不動産を買った。それがもっと高く売れた。そして……」というのを4回くらい繰り返した経験があるらしいが,いまの日本でそんなことはまずないだろう。また著者が,本のPR広告か何かで,うろおぼえだけど「株や不動産にはリスクがあるとみんな言いますが,本当はリスクなどないのです。あなたが恐れているだけです」とかいう意味不明のことをいっていたのを読んだ覚えがある。

また本のはじめの方に,著者が考案したという,お金の動きを実感できるゲームをした,著者の娘のの感想として「安定しているとか,福利厚生がしっかりしているからとか,給料がいいからといった理由ではなく,自分がやりたいからという理由で仕事を探していいんだっていうことがよくわかった」とある。でもこの本の中盤以降で,新聞記者に「コミュニケーションの方法が学べるから」今の仕事をやめて広告代理店に行くようにすすめている。「合法的なマルチ商法」(p193)を行っている会社で働くようにすすめてもいる(マルチ=違法だろう,そんなもんあるのか)。この人はコミュニケーション能力がビジネスを決定するといっているが,この人の定義によるコミュニケーションというのは詐欺まがいの押し売り能力なのではないかという気がする。結局のところ,自分がやりたいことだけをやっていてはダメなようで,矛盾している。

会社員=ラットレースといってひたすらにけなしているが,そこまでひどいもんだろうか。まだ会社員になったばかりなのでよくわからない。それから,自分の会社を持つメリットとして,経費を落とせるなんてことが書かれているが,それってそんなにすごいメリットか。会社だって税金取られるだろう。投資するだけで自動的にお金が動いて増えてくれるなんて,そんなうまいことあるのか。どこに投資するべきか,というのを,会社に属してフルタイムで分析する仕事の人がいるというのに。

専門性を高めると一つのところにしかいられなくなるから,どうしてもそうしたいなら組合に入れなど,ところどころにそうかもしれないなあと思う部分はある(何の専門かということに大きく左右されそうだが)。でも,この本の大筋の主張はあやしいし,わたしはこの本のアドバイスに従う気には到底なれない。

【後日談 2001.07.30】 2chでこの本に関するスレッドを発見。私が出したような論点はもう語られていた。

「ワタシ」を前面に出すアエラの記事

カテゴリー : 本・雑誌・漫画,若手社会人時代 — 2001/06/20

アエラの最新号の記事をさっと読んだ。いちばん気になっていたのは私も以前にも日記で書いたことのある「東大の女の子」についてのもの。

全体的には、東大出身だという女性記者が「私のいた頃は地味だったのに、今の子はおしゃれになって、コンプレックスがないのね~」という内容。記事内に「私が東大にいたときは~」という記述が出てくる。だから東大出身の外部ライターが書いたのかなと思って読んでいたが、署名やプロフィールなどの書き手にかかわる情報は一切なかった。

アエラって、こういうふうに「私」を前面に出す書き方をすることが時々あるけど、それなのにその「私」がナニモノなのか全然明らかにしなくて、読んでいて気持ち悪い。たぶん一記者なのだろうけど、だったら読者がなぜ(そのキャラクターを買われて執筆しているわけではない)一記者の「ワタシ語り」につきあわされないといけないのか。

記者か外部の人かというのは本当はどうでもいいけど、ちゃんとキャラが見えてなくて「ワタシは~」って言われてもねえ。

『山形道場』発売記念講演会レポート

カテゴリー : 学生時代,本・雑誌・漫画 — 2001/03/19

字を緑にしているところは話に出てきたわけでもなく、会場の様子の描写でもない私の個人的な感想です。

山形さんは、この前JNという雑誌ではじめてまともに見たんだけど、まさにあのままの感じでした(当然か)。しゃべり方は基本的ににこやか、とつとつとして穏やかで、悪く言えばメリハリにやや欠けます。まあしゃべりのプロじゃないからね。でも時々ジョークを交えたりしていい感じです。

会場は約100人くらいいたでしょうか。開演5分前くらいに入ったのだけど、席は8割くらい埋まっていて、もらった券には086とありました。話が始まった後からも入ってくる人がかなりいました。会社帰りぽい人たちかな。全体的に20代後半くらいの人が多いという印象です。初めからいた学生と思われる人たちは、かなりファッションに構ってなくて思想おたくみたいな人か、カルチャー系にも興味ありなおしゃれ系のどっちかという感じ。男女比は7:3くらいで男が多い。

話の内容だけど覚えている限り書きます。

1)山形道場にも載っていた割引率の話(金融系の話、要するに今日100円もらえるほうが一年後100円もらえる約束より価値が高い、その理由は一年間に何があるか分からず、約束が反故になるリスクがあるから)と、生物には寿命があることも割引率の決定に関係あるかも、そこから経済と生物学を組み合わせた理論ができるかも?

2)「新教養主義宣言」と比較して「山形道場」の位置付け、いつも出来上がった本は、出来が悪いのではないかと怖くて半年くらい読めない、結論が分からなくて放り出しておいたものを勝手に深読みしてくれる場合もある。最初の本であった「新教養~」は意気込んでいて、できるだけ極端なことを言っている文章を集めたとのこと。それにくらべて「山形道場」は、ええとなんだっけちょっと忘れたけど、前書きでも言っているように「民主主義」みたいな大きなお題目と、小さな具体的手段の中間がない、そこをどうするかという文章を集めてみたということかな。それに対するつっこみ(たぶんこれのこと)の話も少ししていた。

3)続いて中間の話ってことで、山形道場の序文にあるニューヨークの都市計画規制を例にとって説明。何枚かコピーが配られる。ここで都市計画関連がでてくるのがやっぱり先輩だ~って感じで個人的にはうれしいね。これが日本の都市計画だとどうなるかという話もあった。個人的には良く分かったが初めて聞いた人に分かったかな?椅子に立ったりして建物の形状を身振り手振りで示して壁面線とかセットバックとかの解説を懸命に行う山形氏。これはプリントで配られた。

都市計画の話だけにあたしには日本の状況ってのが容易に分かるので、やはり市民が何を知りたいのかってことを政策面での伝える工夫が足りないのね~日本の役所は、と思った。マスタープランとかの「表現」だけの日米比較って都市工の研究として認められるだろうか。そういえばどこかでマスタープランかなんかに特定の単語(「環境」とか)が何回出てくるか調べて傾向を調べた研究を見たぞ。ということはやっぱりありかな。

これは話に出てきたわけでは全くないけど、まちづくり条例の特殊な例。これは都市計画関係者にはかなり評価が高いものだけど、こんな風に「変な法律」に取り上げられてしまったりするのを見て改めて読み返してみると、たしかに難解だなと思う。あと、この「美の条例」にもなぜ「美の原則」を守ると「自然環境、生活環境及び歴史的文化的環境を守り、かつ発展」ができるのかというところが詳しく書いてないのね。

もうちょっと一般的な例。宇都宮市都市マスタープランとその概要版。やはり、専門家の文章だなという気が改めてする。望ましい人口密度などを定めているけど、NYの例に倣うなら、これがどういう計算からでてきたもので、このくらいだとどのくらいのスペースの家に何人くらい住むことになるのか、ということを示すといいんだろうな。

4)専門分野と言葉の話。専門書の入門書でも、入門者をびびらせるためにしか書かれていない本がある。仲間内の専門用語を使って排他的なコミュニティを作っている。不動産業界では「競売」を「けいばい」と読まないとバカにされるらしい。また、山形さんはそういう専門家と一般の人の間に断絶があるが、その橋渡し役をしたいということ、文筆活動を翻訳家から始めたこともこの橋渡しってことに関係あるかも。

このへんがサブタイトルになっていた「コミュニケーション・ギャップ」の意味なのね、山形道場で「中間の話」はすでに読んでいたのに、それを英語化したものだということに気づかなかった。最後にこの辺について質問した人もしてもっと詳しい話もあり。

5)話し言葉と書き言葉の話し。現実には誰も使っていない「話し言葉」がある。たとえば、「~さ」「~わよ」みたいな口調はおかしい。誰もそんな風にしゃべってないって。それが山形氏の書き口調にも関係ある、というような話。

6)同僚の柏木さんと共訳した「コード」という本の話。これはインターネット上の法規制について書かれた本だが、もっと広い範囲の考え方が書かれている。自分が漠然と考えていたことがまとめられている、「山形道場よりこれ買った方がいいよ」とのこと。

ざっと本の内容をまとめると、インターネットは自由な空間、匿名の空間だというけれども、そんなことはない。政府や企業の意向によってこれからいくらでも変えることができる。そのためには法律を厳しくすることもできるけど、コピー不可能なプログラムをつくるとか、プロバイダに全アクセスを記録させて個人情報を開示することなしにネットにつなげなくするようにするとか、物理的に取り締まることもできる。しかし、現実世界では法律を破ろうと思えば破ることもでき、そのことが権力の監視に役立っていたりすることもある(内部告発など)ので、ネット上でも物理的に「法律を破れない状態」にすべきではない…という感じ。

これに関連してプライバシーの話もあったけど、これは意味がよく分からず。なぜ今までプライバシーは守らなければならないのかはっきり決めなかった。しかし、インターネットが発達して検索エンジンなんかも性能が良くなって、これからはなぜプライバシーを守るかをしっかり定義しなければ、プライバシーを守ると称してなにか違うものが守られるだけかもしれない…と大体こんなふうなことを聞いたのだけど、こう書いても意味がさっぱりわからない。時間があれば質問したのだけど。「コード」読めば分かることなのかもしれない。

7)前項の自由と規制の話に関係して、リバータリアンという人々の考え方の話。小さな政府志向で、市場万能主義だそうだが、完全な自由というのが良いわけではなく、ある程度フレームがあってはじめて自由は機能する。東欧やロシアが自由な経済を達成しているとはとても言えないのがその証拠。

8)「自由」に関連してバロウズの話。自由に無責任に生きた彼が寂しい晩年を送ったのも「ただ自由なだけではダメ」という例ではないか、と。「自由のなれの果て」という言葉も使っていた。

個人的にはバロウズに興味はないけど、要するに「やりたいことを楽しくやるためには隣人や家族への気配りや楽しくない手続きが要るよ」っていうことでしょ。なんかよくある人生論くさくて山形さんらしくないなと思った。そりゃ事実だとあたしも思うけどさ、ちょっと意外。あと経済の話と人生論を一緒くたにしていいのかな、とも思う。

カットアップという手法の説明。一つのストーリーを、説明を削ってかなり短くし、わざと分かりにくいようにして書く。山形さんも認めているようだけど、バロウズって単なるいい加減な物書きじゃん。麻薬を買うお金が欲しかったから適当な文章を量産していたようでもあるし。例に挙げてプリントをつくってくれたような生々しい男同士のセックスだのオナニーだのの描写にも興味もてないし。

最後の説明で山形さん自身「はじめは好きなSF作家が褒めていたから自分も褒めなきゃやばいかな、というところから入った」みたいなことを言っていた。山形さんでも(昔のことだろうが)そんな風に考えるのか。もっと自分の意見とか好みに絶対的な確信がある人だと思っていた。世間一般ではかっこいいことになっているらしいからそうしておく、って、まあそういう人たくさんいるけど。

また、バロウズ関係で今度本を出すが、彼が作品を書く書かないは彼が親からもらえるお小遣い(成人後も月30万くらいもらっていた)の額と関係があった!という検証をするとか、カットアップの手法をナボコフの小説に使ってみるとか、カットアップされた小説を普通の文章に戻してみるとか、そんないろんな実験をするらしい。

9)最後に質問コーナー。バロウズ関係の質問が多い。そこはあんまり興味ないので聞き流し。山形さんファンってバロウズファンから入った人が多いのかな…面白かったのはなぜ専門家と一般人をつなぐ仕事をしようと思うようになったのか、というあたり、むかしから教え好きだったとか、翻訳も考えてみればそういう仕事だとか、一つのことに打ち込んで専門家になれない、仮説を作って検証して、という大きな論文が書けないというところはあたしもそうだな~と思った(レベルが違うって)。

でも、誰にでも苦手な作業はあるものなのだから、それにかかわずらいすぎずに早く終えよう、と未だに修論本文が終わらないあたしは思った。今この文章を書いているくらいのペースで書ければあっという間に終わるんだけどねえ…。

質問コーナーの最後に私も質問することができた。「コード」の内容について聞いていたときから気になっていたことで、インターネット上で法律を破れなくしても、現実世界では相変わらず法律を破る方法はあるのだからそれで構わない、という考え方もできるのではないか、と思ったのでそれを言ってみた。

答えは、「コード」を書いた人は、「ネット上のコミュニティ」に「現実のコミュニティ」と同じだけの価値を認めなければいけない、と考えているから、ネット上でも法律を破る方法が残されなければいけないと考えている、とのこと。

具体的に言うと、本名が分からず、連絡手段もメールあるいはその人のHPの掲示板だけみたいな、完全にネット上のあるコミュニティにしか存在しない人格がある。そういう人たちには現実世界の連絡方法が通用しないのだから、ネット内で何でもできなければ意味がない。…ということかなあというのがあたしの解釈。

でも、そういう純粋ネットだけのコミュニティって、どのくらいあるんだろうか。オフ会ってのはしょっちゅう開かれているし。Linuxとかフリーソフト開発者のコミュニティについては分からないけど、実際に会ったりは一切しないのかな?そのコミュニティ内ですごく有名になった人が、マスコミに登場したり、講演したりするようになったら? そこまで技術とか、ネットを通した共同作業をする必要のない一般人のレベルでは、あたしの経験からだと掲示板とかMLのネットコミュニティってって時々は実際に会える人たちの集まりであることの方が多いし、長続きするんじゃないかな?

山形さん自身は、「ネット上のコミュニティにそこまでの価値があるかどうかまだ分からない」、とのこと。結構答えにつまっていて、「きつい質問ですね」とか言われてしまった。うへへへへ。じゃなくて困らせてすみません。

これで講演会は終了し、会場ではその「コード」と「山形道場」が売られていた。結構買ってる人も多かった。あたしは山形道場はもう持ってるし、コードは生協かどこかで買おうと思いあまり見なかった。掲示板とかで名前を見かける人たちに会いたかったけど、誰が誰だか分からず(当然)諦めてまっすぐ帰りました。「山形道場」にサインでもしてもらおうと思って持っていったけど、頼みそびれちゃった。残念。

おしまい。長くて疲れた。後でちょっと書き直すかも。

参考:勝手に広報部の関連リンク集

『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』遥洋子

カテゴリー : 学生時代,本・雑誌・漫画 — 2000/11/28

全体的には面白いけど、遥洋子自身もまだ学んだ内容を消化しきっていないんじゃないかなーという印象を受けた。エッセイにしてはアカデミックすぎるが、論理的に読もうとすると飛躍が多い(そういうラインを狙ったのだろうけど)。論文や学術書からの引用が多いが、本当に筆者が意図するような意味で使われているのかどうかわからないことが時々あった。

ところで話は変わるが、あたしは上野千鶴子の授業を受けたことがある。いちど、NPOに関する授業を受けようと、手に入れた文学部社会学科の時間割表に従って、指定された時間に教室に行った。時間割表に載っていた教官は変わった名前で、男か女かわからなかった。

授業が始まって教官が入ってきた。それは女の人で、入るなりレジュメを配り始めた。受け取ったそのレジュメには「上野千鶴子」とあり、あたしは時間割表が間違っていたことと(冬学期の授業だと思っていたそれは夏学期のものだった)、いままで名前しか知らなかった上野千鶴子の顔を知ったのだった。

その授業でも多くの文献が挙げられていて、教師としては厳しい人なのだなあと漠然と感じていたが、この本によると厳しさは想像以上のものらしい。

しかし、この本の巻末にはこう書かれている。

本書に登場する学生その他の関係者との会話やエピソードは、話をわかりやすくするために複数の人物の発言を併せたり、多少の脚色をほどこしてあり、必ずしも特定の人物や出来事に帰されるものではありません。

そうならば、この厳しい上野千鶴子もかならずしも本物の上野千鶴子ではないかもしれないということか。あとに述べるようにこの本にはステレオタイプが多いのだ。

東大についての描写にも時々ウソ(脚色?)が混じる。この本の一番最初に、夜中の東大の本郷キャンパス内で道に迷ったという記述がある。彼女によると東大の真ん中には森があり、夜11時にはだれも人がいないということだが、森(というか三四郎池)は確かにある。しかし東大本郷キャンパスは直線の広い道が多く、ランドマークになる安田講堂(及びその後ろの変な建物)があるので、東京のそのへんの街中よりよっぽどわかりやすいはずだ。たとえはじめて来たとしても一時間以上迷うなんて信じがたい。その他東大生に関する描写でも、化粧をしたことがないとか、勉強さえしていれば幸せで、月4万円で暮らせるとか、かなりステレオタイプだ。フェミニズムを学んで、女性のステレオタイプ化にはかなり批判的な人なのに。

あと、「ケンカの仕方」は学問あるいは実生活に役に立つのか、とか、考えてみるが自分のなかでうまくまとまらない。

『ミカドの淑女』&林真理子の全般的傾向

カテゴリー : 学生時代,本・雑誌・漫画 — 2000/09/11

林真理子は、10代の女の子とかせいぜい20代くらいの女性を主人公に、きれいな子とそうでない子の違い、華やかに遊びまわれる人、ブランド品で身を飾れる人、芸能界やマスコミに近い人とそうでない人、みたいなことを書いているうちはよかった。それは、やっぱり日本の(いや、きっとあらゆる資本主義国の)女の子が一度は考え、通過するところだと思うからだ。

でも、彼女自身が年をとってくるにつれて、主人公が30代の既婚女性になったりしても、主人公が相変わらず同じような行動原理で動いているのを見るとすごく変だ。主人公がただの幼稚なバカに見えて共感できない。上に挙げたようなことは、世の中の9割以上を占める「向いてない人」はせいぜい20代のうちには卒業すべきものだと思うからだ。

この小説では、下田歌子をこういう視点で書いている。芸能界とかへの憧れを宮中とか天皇、伊藤博文とかに置き換えただけ。

ananの巻末エッセイを見ても、いつもやれダイエットだ、エステだ、ブランドだ、芸能人だという感じなのでこの人は永久にこういう人なのでしょう。だから10代~20代前半が対象のananにエッセイを書き続けていられるともいえる。そういうものに興味を持ち続けていられるのはある意味すごいのかもしれない。