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タイラー・コーエン 『インセンティブ 自分と世界をうまく動かす』

カテゴリー : 本・雑誌・漫画 — 2012/03/22

経済学エッセイというと、なんにでも市場主義を導入し、お金で解決すればいい結果になるのです、的なものが想像されそうだが、著者はそれは浅い理解だという。たとえば、子どもに小遣いをあげて家の皿洗いをさせるのはうまくいかないだろうというのだ。それは子どもの心理、何にインセンティブを持つかを本当によく考えていないことによる。子どもには、むしろ家族の一員であること、家族の義務を話してやらせた方がうまくいくだろうという。逆にお金を払った方がうまくいく場合はどんなときなのかも列挙されており、お金で解決というのは決して万能ではなく、効く場合と効かない場合があると書かれている。

いろいろなエピソードで、インセンティブのためには、その人の心理や価値観、暮らしている社会システムへの洞察が必要であることを書いている。経済学はインセンティブの学問だというのだが、話題は幅広くあちこちに飛び、体系だった事柄を述べる本ではないので、これが経済学というジャンルの本だといわれても、どうかなあという感じがする。むしろ心理学の本と言われた方が納得がいく。

美術館での絵画の楽しみ方は「自己愛(原語はミー・ファクターだそうだが、この訳語でいいのかどうか?)」を最優先にせよという。市場で売られる絵画には、実際に「自己愛」を反映した高く売れる絵の法則があるとか。小説や音楽、映画への「自己愛」の関わりも書かれている。映画や小説では、「自己愛」を発揮して、興味をひかれたものだけをつまんで残りを切り捨て、音楽に関しては「自己愛」をゆるめて、いろいろなジャンルに触れるのがよいそうだ。

シグナリングに関する記述は興味深い。シグナリングとは、コストのかかる行為でメッセージを伝えることだ。女性へのプレゼントが花束やダイヤモンドなど、実用性が薄いものであるのは、それがシグナリングだからだ。家庭内では、現金よりもシグナリングのほうが重要だという。カウンター・シグナリングというものもある。たとえば天才プログラマーが、就職の面接にノーネクタイで現れるようなことだ。

おいしい食事をするためのtipsの章も面白い。外食がおいしいのは、貧富の差が大きい国だという。一部の富裕層のために、安い労働力をふんだんに使えるからだ。アメリカの状況もこれに近く、たとえばアメリカのフランス料理店では移民のメキシコ人コックが働いている。ある街でおいしいレストランを探すのなら、賃料が安いと思われる場所に行くといい。

そのほか、寄付、チップ、プレゼントに関するコストとインセンティブとか。小ネタがたくさん拾えるタイプの本でした。

ニコラス・G・カー 『ネット・バカ』

カテゴリー : ネット関連,本・雑誌・漫画 — 2012/03/13

人間は今までに使ってきたテクノロジー、たとえば、言葉を書くこと、本、時計、地図などによって世界の認識のしかたを変え、脳の配線を変えてきた。

そしていまインターネットも脳を変えつつある。それは、読む量も考える量も細切れで断片的になり、かつて読書(本というテクノロジー)によって形作られた、深いオリジナルな思考をやりにくくし、注意散漫で表面的な思考に適した脳に作り変えているのではないか、ということを脳科学などの大量の研究を引用しながら語る。

たとえば、同じ文章をリンクをつけたハイパーテクスト形式で読むのと、普通のテクストで読むのを比べた場合、後者の方が内容に関する理解度が高いという研究結果がある。ハイパーテクストでは、読み手はリンク先にジャンプするかどうか考えないといけないので、その分内容を理解することに脳のリソースを割けなくなるからだ。

著者のニコラス・G・カーは、ネット環境がADSLしかない田舎に引っ越しまでして、ほぼネット断ちの環境を整えて本書を書いたそうだ。しかし執筆の終わりが見え始めたら、またネット漬けの生活に戻ってしまったという。

というわけで、コンピュータ・インターネットによって人間性が変わる(それも、より浅薄なほうに)だろうという予測の本なのだが、本書のタイトルから予測されるようにそれを一方的に叩いているわけでもなく、著者も経験したとおりそれは避けられないものとしながら、「われわれはみずからこれを考察し、何を失いそうになっているかに注意を払う責任がある」という注意喚起の書、と言ったらいいのかな。

個人的には、インターネットも嫌いではないけれど、「コンピューター時代以後の脳」に完全になってしまわないように、意識して本を一冊読み通す集中力を確保し、自然の中を散歩する余裕を持っておきたいと思いました。

ウェルズ 『盗まれた細菌/初めての飛行機』

カテゴリー : 本・雑誌・漫画 — 2011/11/09

ヴィクトリア朝のイギリスが好きという人は多い。文学では、ディケンズやブロンテ姉妹が活躍し、コナン・ドイルはシャーロック・ホームズを生んだ。近代という時代には、レトロな懐かしさと現代的な生活の萌芽との両方が感じられる。ウェルズは、そんなヴィクトリア朝末期および次のエドワード朝に活躍したイギリスの作家だ。『タイムマシン』『宇宙戦争』などを著し、ジュール・ヴェルヌとともにSFの父と呼ばれる。

本書はウェルズの短編集だ。「盗まれた細菌」では研究所を訪ねた無政府主義者が、科学者からコレラ菌の入った試験管について説明され、それを盗み出す。水源に投入して、現代風に言えばバイオテロを敢行しようとしているのだ。そこで試験管を持って辻馬車で逃げた犯人を、やはり辻馬車で追いかける科学者。靴も履かずコートも着ずに追いかけ始めた科学者をさらに辻馬車で追うその妻と、カーチェイスならぬ辻馬車チェイスが展開される。

「初めての飛行機」では、主人公のベッツは、彼が若かった頃、飛行機が個人向けに売られ始めた初期のことを回想している。彼は飛行機を購入し、操縦して飛行したが、トラブルによって飛行機はロープにつながった鉄柱を引きずったまま飛行し、引きずり回された鉄柱は村の人々に多大な損害を与えた。まだ個人による飛行のルールが定まる前の時代だったといえ、飛行前の確認・点検はパイロットの重要な任務だ。しかも、一度着陸して迷惑をかけたことが明らかになってからも、調子に乗って再度の飛行を試み、さらに迷惑の度合を大きくした。しかし彼は自己正当化ばかりで、ほとんど反省しない。

「小さな母、メルダーベルクに登る」ではベッツは登山経験も少なく、気候のコンディションも悪いのに年老いた母親をつれてメルダーベルク山への登山を試み、また危険な目に遭うが奇跡的に母親ともども無事に帰ってくる。

登山中、岩山を登ることなど無理な老いた母親をハンモックでくるんで、荷担ぎに運ばせていたのだが、くるまれた状態で岩山からロープでぶらさがって、みの虫のように空中に揺れていたという描写には笑ってしまった。母はベッツよりは常識人だが、やはりこの母にしてこの子ありの”天然系”老女で、息子が無茶な冒険をしても平気でついていくところがある。

ベッツの性格ならば、若い頃にはこの2作に登場する以外にも危険で迷惑な冒険を重ねてきたはずで、彼が若い頃を回想できるほど長生きできたのは、よほどの強運の持ち主だからなのだろう。

冒険好きでナルシスティック、周りの迷惑をかえりみず、危険なことでもやりたいと思ったらなんとしても実行してしまう。ベッツはかなり困った人物なのだが、それでも彼が振り返る若き日の冒険の美しさには抗えない。

ほかの作品の多くにもみられるのは明るさだ。各短編中に危機はあるが、主人公たちはなんとか切り抜けることが多く、からりとした読み応えがある。

ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール 『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』

カテゴリー : 本・雑誌・漫画

イタリアの作家で記号学者のウンベルト・エーコと、フランス人でルイス・ブニュエル映画などの脚本家、ジャン=クロード・カリエール。本書はこの二人の対談をまとめたものだ。まさに、博覧強記・縦横無尽という言葉がふさわしい。

二人は、一冊の書物を見るとき、書物それだけ、あるいはそこに印刷されている文章だけを見ているのではない。その書物が背負う知のネットワークを見ている。

エーコは語る。

《書物の一冊一冊には、時の流れのなかで、我々が加えた解釈がこびりついています。我々はシェイクスピアを、シェイクスピアが書いたようには読みません。したがって我々のシェイクスピアは、書かれた当時に読まれたシェイクスピアよりずっと豊かなんです。
傑作が傑作であるためには、知られるということが大事です。……(中略)……知られざる傑作には読者が足りなかったんです。十分に読まれなかったし、十分に解釈されなかった。》

日本に、まだ知られていないシェイクスピア級の傑作文学があるのではないか、と考えたとする。しかしその文章だけを抜き出してシェイクスピア級という評価はできない。日本でもシェイクスピアは読まれているが、その文学作品は世界中で同様に読まれていないからだ。解釈による知のネットワークが十分にできていないのである。傑作というのは、この解釈のネットワークの中で高く評価されたもののことだ。

書物が代表するような世界の人文学的知のネットワークをリードしているのはヨーロッパであるし、世界各国の知の流通をめぐる事情に言及しながらも(日本の「ケータイ小説」にまで触れている!)、二人の言葉には、そのヨーロッパの中心に育った教養人としての誇りを感じる。

二人の共通の趣味は、希少な古書の収集だ。その中にはインキュナビュラとよばれる最初期の活字印刷物もある。それぞれの古書に、印刷され、流通し、所有者のもとを転々とし、運よく燃えたり捨てられたりせずに現在まで残ったという歴史を見ているのだ。

本を愛する二人だが、災害時に何を持って逃げるかという質問に、エーコはこう答えている。

《私の場合、今まで書いたもののすべてが入っている、二五〇ギガの外付けハードディスクを持って逃げますね》

二人は本を愛しているが、デジタルメディアを全く拒否しているわけではない。デジタルメディアもある程度利用し、特徴をつかんだ上で、記録媒体があまりにも早く推移してしまうこと、コンピュータの使い方についても移り変わりが激しく、若い頃に身につけたコンピュータとの付き合い方が年を取ったら通用しない現代社会について危惧している。書物によってどの知識が重要かという重み付けがなされ、人が共通の知識を持つことができた今までの知のネットワークが、インターネットによって、それぞれの知識の重み付けがなされないまま、重要性のない無駄に細かい知識が散乱する知識のネットワークになってしまう変化をよくないものと考えている。

エーコは読んでいない蔵書についてこうも言っている。

《誰が、『フィネガンズ・ウェイク』を全部、というのは最初から最後まで一字一句逃さず読んだことがあるでしょう。聖書を、創世記から黙示録まで本当に読み通したことがある人はいるでしょうか》

《白状しますと、私が『戦争と平和』を読んだのは四十歳になってからです。》

このように読んでいない本をたくさん含む自分の書庫に行ったり、書店や図書館に行くと、ほっとする、守られている感覚があると二人は語る。最近、街に大型書店が増え、そこに若い人がたくさんいることに希望を感じている。必ずしもそこで本を買わなくても、背表紙からだってたくさんの情報を得られると言う。買った本の全てを読まなくてもいい、自分のペースで、読みたいだけ読めばいい、本との付き合い方の達人とも言える二人の言葉は、意外にも、読まなければという強迫観念に囚われている教養人ワナビーにも優しいものだった。

伊藤計劃 『ハーモニー』

カテゴリー : 本・雑誌・漫画

この作品の著者、伊藤計劃は、2009年に34歳で逝去した。死因はガン。著者のブログ「伊藤計劃:第弐位相」によると、本作『ハーモニー』は、ガンの再発と再々発のあいだに大部分が書かれた。その後、ガンが全身の6か所に転移していたことが発覚し、抗癌剤を投与され放射線を浴びる入院治療を続けながら完成した。本書の単行本版が出版されたのは2008年12月だが、そのわずか4ヵ月後の2009年3月に死去した。

本作の舞台となる未来社会は、社会の構成員が健康であるための管理が行きすぎた社会である。大人はWatchMeというコンピュータを体内にインストールして健康状態を監視し、常に健康コンサルタントの助言を受けている。酒やタバコはもちろん違法だ。人間は社会のリソースであると強調され、社会のための身体という意識が強い。身体をケアしているかどうかや振る舞いなどが他人に評価され、社会評価点として誰にも見える状態で反映される。公共空間からは威圧感を与えるデザインは注意深く排除されている。そんな社会で自殺率がじりじりと上がっている。

そんな社会にひそかに反発を覚えている女性、霧慧トァンが本作のヒロインだ。先進国全域を覆っている高度な医療管理社会から逃れるために、そのような医療が普及していない途上国との国境地帯に赴任する仕事を選び、そこで禁止された酒を手に入れてひそかに楽しんでいる。高校生の頃は友人と共に自殺を図ったこともあった。当時一緒に自殺を図り、生き残った友人と久しぶりに会っているときに、友人はトァンの目の前で自殺する。このとき、世界中で多数の人が同時に自殺したことがわかり、トァンはこの事件を追うことになる。

もし、WatchMeのようなシステムが実際にあったなら、伊藤計劃はガンにならないか、なってもすぐ治っただろう。30代にしてガンで命を落とした著者であるにもかかわらず、高度に医療が発達した社会をディストピアとして描いた。

わたしは、この管理の行き届いた優しいディストピアは現在の日本だと思う。日本人の国民性として有名な同調性の高さ、相手の気持ちを察して先回りして願いをかなえようとするところ、決して高給を得ているわけではない、スーパーやコンビニなどの店員であってもきちんとしたマニュアル通りの対応をするような、”望ましいふるまい”への圧力。テレビや出版物、インターネットには健康法やダイエット、薄毛対策など、自分を”理想の身体”に近づけるための情報が花盛り。仕事に関しては就職の新卒至上主義や、履歴書に数年ブランクがあっただけで再就職が極めて困難になるなど、人間の機能として働くことだけが重視されすぎている。大抵の用事は能率よくこなせて、街は清潔で、治安もいい社会で、医療レベルが高いため平均寿命も長いが、日本の自殺率は先進国の中では群を抜いて高い。著者は、技術的に可能になれば、WatchMeや社会評価点などを導入しかねない社会として日本社会を見ていたのではないだろうか。

そしてもし、人間が自分の安全や健康や幸福度を増すような最も合理的な選択だけをして生きればいいのなら、目の前にあるケーキを食べたくなるが、本当は太りたくないので、意志の力で我慢する――のような心の葛藤は果たして必要なのか、というのが本書の最後の問いだ。お行儀のよさを少し脱ぎ捨て、身体的欠陥も自分の一部として認め、健康上・安全上・履歴書上の観点からはマイナスになる楽しみも引き受け、人生に必要のない無駄やまわり道をもっと愛してはどうかという日本人に対する作者のメッセージとして本書を読んだ。