上野千鶴子の発言に見る、フェミっぽい人が言いがちなテンプレートに反論してみる

「女子力を磨くより、稼ぐ力を身に付けなさい!」上野千鶴子さんが描く、働く女の未来予想図 – Woman type [ウーマンタイプ]

一点目。

稼げる方がいい、などというのは当たり前のことだ。私たちはみな貨幣経済の中で生きており、モノやサービスを金銭で購入しているのだ。お金はないよりある方がいいし、稼げる方がいいに決まっている。

「稼ぐ力があれば生きていけます」などというのは「勉強ができれば東大に入れます」とか「野球がうまければプロ野球選手になれます」のような発言で、同語反復に近い。

たとえば、「資産はないよりある方がいいですよねー」という発言があったら、「当たり前だろう、だからその資産をどうやって作るんだよ」という話になると思うのだが、結論が「稼ぐ力が必要ですよねー」だと「何か言った感」が出てしまうのは不思議なことだ。

「稼ぐ力が必要」というのは結論ではなく、話のスタートであるべきで、じゃあどうやって稼ぐか、あるいは稼ぐのが得意ではない人はどうやって生きていくか、とかそういう話を求めたいところだ。

二点目。

フェミのテンプレとして「女子力を磨いて専業主婦になろうとしている若い女子に、最近は男性も専業主婦を求めないし、そもそも専業主婦を養えるほど稼ぎのある男性は少ないし、離婚・死別・DV等のリスクがあるから稼ぐ力をつけましょう、と、年長の女性として指導する」というのがあるが、ここで描かれている若い女性像とか女子力のあり方が古いと以前から思っている。世の中には専業主婦になりたい女性も、女子力を磨いている女性もいるだろうが、それは本当に上記のようなストーリーにあてはまるのだろうか。

女子力というのは、最近はむしろ稼ぐためにこそ必要となっていないだろうか。サイバーエージェントのキラキラ女子がいい例である。若く美しい、いかにも多数から好感をもたれそうな女子であることには経済的価値がある。彼女たちがメディアに出ていたら、不美人が出ているよりも確実に人目を集めるのである。

一方で妻に専業主婦を求める男性が、家に帰ってきてキラキラ女子みたいなのに迎えられたいかというと、まあ、そういう趣味の人もいるだろうが、そうでない人もいるだろう。男性の好みというのはそこそこバラけていて、女子力発揮タイプではない人も合う相手を一人だけ見つけることは可能だと思う。一方で仕事の場では、薄く広く多くの人に好感を持たれることが必要とされる。女子力の定義はいろいろあるが、そういう「典型的な女子」の度合いを高める必要があるのはむしろ仕事など社会と関わる場ではないか。

若い女性が専業主婦になりたいというのは、そういう労働力と女子力の両方で市場で査定されるのに疲れたから、撤退したいのではないかと思う。だから、専業主婦になりたい女性に「女子力ばかり高めていないで稼げ!」と言うのは何かズレていないか。いま専業主婦志向を持っている若い女性がどんな感じなのか直接知っているわけではないが、メディア状況から想像するに、女子力高める系というよりも、雑誌で言えばクウネルとか天然生活みたいな、反市場主義、エコ、スローライフ系の人たちなのではないかと思う。また、専業主婦になりたい、と思っていても、実際になれると思っているかどうかはまた別だ。

むしろ、稼ぐためにこそ、女の部分を売り渡さないといけないというところがあるのではないか。そりゃあ上述の「フェミのテンプレ」を使って「女子力より稼ぐ力を!」と説教する優秀な女性たちは女子力を使わずに実力だけで生きてきたのかもしれない。そもそも「若い女子へ生き方についてアドバイス」を求められてメディアに載るような成功した女性は。そういう人にとっては「女子力」と「稼ぐ力」は完全に別物なのだろうが、一般的にはどうだろうか。芸能界とか水商売とか特殊な業界でなくても、女子力をもって実力にしている働く女性って、結構いるのでは。