「階級を超える進学」の話で、特に大学の先生に考えてほしいこと。

低学歴と高学歴の世界の溝

大変話題になっている上記の文章ですが、本題からそれるけど気になっていることを書きます。特に、大学の先生に考えてもらいたいことです。

私もこの増田の人ほどではないけど、両親・おじおばに四大卒はいません。同世代のいとこで四大卒はいるけど少なく、高卒が大半。そんな中で私と弟だけが国立大に進学し、私は大学院まで行きました。

言いたいのは、そういう家庭出身で、特にレベル高めの大学に入って、いきなり「大学は自分で学ぶところ」とか言われて放り出されるのはつらいということです。

高校までは参考書・問題集・塾などがあるし、問題が解けないというレベルなら先生に聞いて解けるようになることはできました。でも、大学に入って、レポートというのはどういう風に書くべきか、図書館でどう調べるか、研究とは、論文とはどういうものか、とか、ただでさえ難しいのに、それを「自分で学べ」と言われるわけです。私は大学院を出た時点でもまだよく分かってなかったと思います(←これはひどすぎるし自分の責任もあると思う)。大学の先生って、それまでの人生で見たことのない人種だし、あまりにも頭の悪い質問をするのははばかられる。自習しようにも、大学の教科書も、演習問題は載っているけど回答や解き方は載っていなかったりで不親切だし。

その後、アメリカの大学を訪ねる機会がありました。イエールとかUCバークレーのような、アメリカでもレベルが高いといわれる大学の生協にさえ、大学生向けの各教科の参考書とか問題集とか、どうやって大学で勉強するかという本などがたくさん置いてあって、日本の大学生向けには(私が大学生だった頃には)こういう本はなかったなーと思いました(公務員試験などに出る科目ならあるくらいか)。また、学生アドバイザーみたいな人がたくさんいて普通に機能しているとも聞きます。私が大学生の時に、そういう学問のやり方とか考え方について率直に聞ける人がいたらよかったと思いました。欲を言えば、大学の専攻を決める高校までにそういう人と話し合いたかった。

麻布中学では、卒論を書かせるそうですが、同じ中学校という名の教育課程を終えていても、こんなに差があって、こういう人たちと同じ大学に入ると「大学は自学自習」と言われて同じように放り出されるのはなんだかなーと思うわけです。

当時は私も自分の育ちについて客観的に見ることができていなくて、レポートとか論文とか全然イメージがわかないけど、みんなそんなものなのかなーと思いながら、なんとかそれらしきものをでっちあげたという感じですが、今にして思うと、同級生とそれまでに積み重ねてきたものの差がかなり大きかった気がします。

私の場合は、当時何が問題でどう助けてほしかったか分からなかった部分もあるので仕方がないですが、大学の先生は、大学に入るまで、大学での学問とか研究について全然イメージがわかなかったような人を、もう少し助けてほしかったと思います。大学の先生が、自分の仕事は各科目を教えたり研究したりすることであってそういうのは関係ないと思うなら、教えるのは大学の先生でなくとも、入学時などにそういうことを学べるようにできないのかと思いました。