twitterで未知の人と一言コミュニケーションを続けることに意義を見出しづらい件

twitterはノイズが多い。スパムや宣伝tweetも多いけど、そうでないものでも対応に困ることがままある。私は賛成している意見のリンクを流したら、未知の人から「それは偏見に満ちたひどい意見ですね」という私が同意するにきまっているという論調のReplyが来たり、私にはどこがどう似ているのかさっぱり分からないものに対して「それは××に似てますよね」とか、根拠なしの言い切り的なReplyが来ることがある。

twitterで返信にかかるコストと得られるもののバランスを考えてしまう。仲良くなりたい人やすでに人となりが分かっている人ならそのコストは少なく感じるけど、この人はどういう人なんだろう、私にどういう返事をすることを望んでいるんだろう、などと考えながら未知の人とコミュニケーションし続けるのは疲れる。

会って会話していて同じことを言われたのだったら聞き返したり、場の雰囲気でわかることも多いけど、正直twitterでそこまでやっていられないので、脳内でスルーすることになり、こんなにスルー力ばかり鍛えて何になるのだろうとむなしい気分になる。逆に、ふだんの会話ではいかに言葉の内容以外のもの、例えばあらかじめ持っている相手に関する知識やその場がどんな場かということなどに依存して会話しているかということに気づかされる。

ソーシャルメディア・エバンジェリストみたいな人で、twitterは素晴らしいという人は多いけど、ノイズに対するスルー力の大きさによってその人のtwitterへの評価が決まる気がしている(津田さんのスルー力は巨大で、普通の人には多分まねできない)。

そういう意味では私はスルー力はあまり高くないみたい。私の1つのtweetだけをたまたま見た人が一言返してきて、それにまた返信するかどうかで悩むみたいなことが、はたして「未知の人とつながれる、twitterの素晴らしさ」なんだろうかと思うことがよくある。

以前某A氏関連で「50代以上の男性は男尊女卑的な思想の人が多いと思う(しかし、A氏は大学教員であり教育に関する各種懇談会にも呼ばれているので普通の人と違って見過ごせない)」と書いたことがあるが、そうしたら「50代男性ですが私は違います!」みたいなリプライが何件か来て疲れた。

一般論を言っているのであって例外はそりゃあるだろうが、自分は例外です!ということを私に主張して何がしたいんだろう……。普段コミュニケーションをしていない相手が、自分の正当性を訴えるためだけに@を飛ばしてくるのが一番苦手かもしれない。

以前、「mixi疲れ」が話題になったときは、知り合いとのなかば義務的なネットコミュニケーションが疲れるという話だった。それに対するアンチとして、twitterでは義務的な挨拶はないし、既存の知り合いの輪に縛られないのがメリットだと言われていたと思うけど、もし「twitter疲れ」があるとしたら、見知らぬ人の反応に疲れるということじゃないかなあ。