『科学との正しい付き合い方』内田麻理香
第10回Wikiばなの課題図書(?)のうちの一冊(もう一冊は『予定不調和』)なので読みました。なお、この本の著者の内田麻理香さんは知っている人であることをブログ倫理的なものにのっとって宣言しておきます。
今まで、内田さんが科学が好きで、それを仕事に選んだ理由は、「ガンダムが好き」のようなガジェット的なものや「ファインマンが好き」のような人物として科学者が好きであることなんだろうな、となんとなく思ってました。しかし最初のきっかけはそうだったのかもしれないけど、科学者になりたいと思って博士課程にまで進学する人にはやはりもっと深い理由があり、それを「一般人にもとっつきやすく」と考えてそう言われていたのだ、ということがわかりました。
私なりの理解ですが、それは、実験を重ねて「現在時点での有力な仮説」ができているけど、常に「それ変じゃね?」というつっこみが入りうる状態であるのが科学であり、その疑問を発する、科学に興味のある人は大学教授も一般人も子供もひとしく科学の徒であるということです。つまり、発言者の権威とか言い方とかではなく、純粋にその内容のみを検討する場であるフラット性・相対性(以前のネット流行語で言う「モヒカン族」に近いかも)が魅力なんだなということです。そしてファインマンは反権威的でフラット、いわばモヒカン的な人だから内田さんは好きなんだな、と。
そして、その「フラット性」は科学という分野の中で何かを検討するときだけではなく、「社会の中の科学の扱い方」にまで広げるべきだというのが本書の主張だと感じました。科学は「社会の中の諸要素(政治とか文化とか福祉とか…)の中の一つ」でもあるし、また「社会の中のあらゆる要素の中に科学はひそんでいる(政治の中にも、文学、料理、美容、エンタテインメントetc.の中にも科学は存在する)」という見方もできます。
「科学のつっこみ許容性」「社会の中の科学の相対性」に反する例として、「事業仕分けの際、ノーベル賞受賞者が科学の聖域性とそれが伝わらないのはマスコミが不勉強だからだ、という趣旨の話をして、多くの科学者たちが賛同して盛り上がっていた」という事柄を紹介しています。科学のプロたちが、むしろつっこみ(「なぜ2位ではダメなんですか?」)に不寛容で、科学の絶対性を信じて疑うことなく、内田さんが思う科学の特性とはかけ離れた行動を取っていた……だから、科学にはもっと素人の目や意見が必要なのだ、というのが本書の結論です。
なお、本書の一部は、内田さんのブログにアップされています。
- 新著「はじめに『科学の物語性』」掲載|内田麻理香オフィシャルブログ「カソウケンの科学どき技術どき」
- 新著「疑う力を阻害するもの『科学教の狂信が思考停止に』」掲載|内田麻理香オフィシャルブログ「カソウケンの科学どき技術どき」 ←本エントリでも触れた、事業仕分けと科学者たちの反応に関する部分です
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