パターン、Wiki、XP~時を超えた創造の原則(江渡 浩一郎)

第七回Wikiばなの課題図書ということで読みました。

アレグザンダーという建築理論家/建築家が建築や街を作るために1960~70年代に考え出した理論がIT畑に転用されて、XPというソフトウェアを作るための理論や、Wikiという利用者参加型のウェブサイトを作るための技術に生きているよという話。

私は高校時代に建築家になりたいと思って大学は建築学科に進学したわけだけど、やっぱり当時漠然と、建築は世界を作る技術だと思っていたのかもしれず、でもそれは当時パソコンをちょろっと触った経験はあったものの、インターネットなんて想像だにしなかった時点での認識にすぎませんでした。それから20年近く経って、着々と世の中で建築が果たしてきた役割が一部はITにとってかわられつつあるのかもしれないと思いました。しかしアレグザンダーについては、漠然と「パターンランゲージの人」というくらいの認識しかなかった私。実際のところ、建築理論って大学で建築を学んでもほとんど、いや全く習いません。アレグザンダーのような非主流派のものはなおさら。

アレグザンダーの考え方は、建築なら設計者や施工者のような専門家だけでなく、利用者の意見を入れながら作ったほうがいいよという話で、そのためにパターンを多数用意してストーリーを共有するとか、トップダウンの大きな計画よりもボトムアップで、一部が完成したところで様子を見ながら少しずつ改善していくのをよしとします。しかし、実際のところ建築の世界ではアレグザンダーのやり方があまりうまくいかなかった。理由は、都市計画とか公共建築はそもそも政策があり予算がありというトップダウンの計画でできるものであり(本来の納税者である住民の参加については色々な方法が試みられてはいるけれども。ワークショップとか)、公園、道路、駐車場、学校など街を構成する各部分を担当する部署もバラバラだし、私的な建築だとしても本書で言及されている東野高校の例もあるように工期と予算の問題もあります。ちょっとずつ付け足していく建築なんて耐震とか安全面でも心配だし。というわけで実はアレグザンダーの考え方は実際の形をもたないIT方面に実は適していたのかもね。

私の観測範囲に限るかもしれないけど、一時期、たぶん2003~2004年くらいかな、個人サイトにWikiエンジンを設置して、ブログと平行して運営するのが流行したことがありました(例:blogとWikiは個人サイト構築の両輪だブログはフロー、Wikiはストックblog のまとめとしての Wikiなど)。個人差はあるけど、結局ブログは続いているがWikiはやめたという人が少なくないです。私もその一人で、誰でも編集できるWikiはスパム対策が大変なのと、ブログのほかにWikiまで更新するのは手間だし、ちょっとずつ書き足して練り上げるほどのネタもないしってことで更新は止めてしまいました。

本書を読んでいて思ったのは、アレグザンダーの考え方をWikiに展開するときに、アレグザンダーの理論では「パターン」、XPでは「ストーリー」と呼んでいた開発(設計)者と利用者との共有ビジョンみたいなものが、WikiではそのWikiで何を書くべきかといった話し合いで形成されるとあるけれども、Wikiのあるところで必ずしもそんな話し合いは起こるとは限らないよなあということです。その点、最後に紹介されているWikipediaが成功したのは「百科事典」という明確なイメージを共有できていたところがよかったと。本書で言及されているWikiの大元であるC2 Wikiとか、その周辺の最先端のプログラマーたちによるWikiも同様に、Wikiを抜きにしてもプログラマーのコミュニティがあって(Wikiのおかげで拡大したということはあったとしても)、運営者と書き込み者が目的を共有していたのだろうなと。それは、どこかにWikiをインストールすれば自動的についてくるものではなくて、個人サイトのWikiが流行らなかったのは、そのWikiで何をするかというストーリーの共有(そもそも共有すべき「利用者」がいたのか、ということまで含めて)が弱かったのかなーと思いました。一方で、そのブログで何をするかなどはっきりしていなくても、ブログは書けちゃうんですよね。

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