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ルー・サロメ 善悪の彼岸(リリアーナ・カヴァーニ監督)

池袋の新文芸坐にて、「ヨーロッパ映画の巨匠たち」という特集で10月13日に観ました。同じ監督の『愛の嵐』と2本立てで、こっちも観たかったのだけど時間がなくてあきらめ。

この映画を観たのは2回目で、1回目は2006年2月に観てます。このときは長年観たいと思っていた映画がついに観られるということで、とても嬉しかった。

1回目の感想にも書いたけど、私は高校生か大学生くらいの頃にルー・サロメという人の存在を知り、興味を持って『ルー・サロメ 愛と生涯』(H.F. ペータース)を読んだ。彼女の何者にもとらわれず、やりたいことをやって物を書いて生き、なおかつモテモテ(笑)な人生が羨ましく、こんな風に生きたいと思い、彼女の関連書籍を色々と集めた。特にこの『ルー・サロメ 愛と生涯』は、日本で出版されている彼女の伝記のうち最も詳しいもので、私は線を引きまくり、しおりをはさみまくりでとても他人に見せられない状態だったりする。でもまあ最近はそういう憧れていた自分も過去のものになってきたので、いずれこの本の写真を撮ってこのブログに載せたりしてみよう。

この映画でも描かれているように、ルーはニーチェとその友人のパウル・レーの両方と親しくなりながら二人とも振り、別の男に熱烈にプロポーズされて結婚するけどセックスはせず、自由に婚外恋愛を楽しんだ(その相手のなかにはリルケもいた)。そんなルー・サロメを現代のネットジャーゴンを使って「サークルクラッシャー」と呼んだ人もいる。それは本田透で『喪男の哲学史』だったと思うけど…と調べたら書いてる人がいた。まあ、確かにそういう人だと思います。

映画に話を戻す。最初に観たときに書いたように、この映画のストーリーは現在分かっている伝記的事実とはちょっと違う。最初はそれが不満だったけど、二回目の今回は史実とは離れて作り物としてのこの映画の世界を楽しもうと思えたし、これはこれでいいんじゃないのと思えた。黄みがかった重厚な画面で表現した19世紀末のエロスを楽しむというか。

ただし、それによって解釈が苦しくなっている部分がある。それは、映画ではルーは彼女が結婚するカール・アンドレアスも含めて、結婚前にいろんな男性とセックスを楽しんでいるという設定なのだが、実際は彼女は結婚してしばらく、30代半ばくらいまで処女だったらしいと言われている。だから、実際はルーはカールとセックスしないという条件をつけてプロポーズを承諾した時点では処女だったのだし、その後も夫とは一生セックスしなかったようだ。しかしこの映画では、結婚前はカールと寝ているのに、結婚してからは拒んでいるので変な感じだ。

その他ニーチェと一緒に裸でお風呂に入っていたりするのだけど、これは完全に作ってるな-というか、最初に観たときの感想の繰り返しになるけど、本当は彼女のすごいところは、そういうあからさまなエロ抜きで知的サークルの中でもてまくったところだと思うんだよね。まあ、映画としては絵としてエロスを入れたかったのだろうけど。また、ルーの話ではないが、ニーチェが梅毒にやられて見る幻覚で、裸の男二人が延々と踊り続けるというのがあるんだけど、これはいささかやりすぎに感じた。

また、パウル・レーは最もルーの近くにいたのに、結局彼女をものにできなかったところなど、実際に男としての押しの弱さはあったようだ。しかし、だから彼は女性になりたいという願望を持った同性愛者だったのだというこの映画の解釈はどうなんだろう? それなら、ずっとルーを好きだったのはどう説明するのかなあとか。

逆に実際のエピソードをうまく使っているなあと思ったのは、ニーチェから手紙が来てルーは会いに行くんだけど、直前になって、彼と会うべきではないと考えて引き返す。しかしそれでもニーチェが心配なので、街中で座り込んで、ニーチェからの手紙を食べてしまう。この手紙のエピソードは、実際には相手はニーチェではない。どれかの伝記本で紹介されていたが、たしか『愛と生涯』ではなかったと思う。こういう自分が欲していることをきっちり分かっていて、普通なら相手と自分の関係を考えて、会いに行くでしょう? というところを、純粋に自分の考えだけで行動する人なのだ。それによって傷つく人はたくさん出るわけなのだけど。

また個人的な話だが、この夏、ローマとヴェネツィアに旅行したので、実際に行った場所が出てきてちょっと嬉しかった。パウル・レーとルーがローマの夜の散歩をするのは、フォロ・ロマーノかなとか、ヴェネツィアでニーチェがいたカフェは1720年創業というカフェ・フローリアンだな(私も入った)とか、映画で運河を望む貴族の館の内部を見ることができるが、観光客としては外から見るしかなかった建物の中はこんな感じだったのかなと思ったり。

goo映画よりこの映画の情報を書いておきます。

  • 製作年 : 1977年
  • 製作国 : イタリア=フランス=西ドイツ
  • 監督・原案・脚本 : リリアーナ・カヴァーニ
  • 出演 : ドミニク・サンダ 、 エルランド・ヨセフソン 、 ロバート・パウエル 、 ヴィルナ・リージ、フィリップ・ルロワ

19世紀末のローマ。進歩的知識人の会合で、若い哲学者パウル・レーとロシア人女性ルー・サロメは意気投合する。パウルはルーに求婚するが、ルーはありきたりの結婚生活を嫌い、もう1人の男性と3人で共同生活することを提案する。パウルは友人のニーチェ、通称フリッツを誘い仲間に引き入れ、フリッツもルーにたちまち心を奪われる。ライプチヒで3人の共同生活が始まるが、やがて男2人の嫉妬がもとで崩壊。フリッツはヴェネツィアへ行くが、やがて精神を病んでいく。

1974年に「愛の嵐」を発表し、その大胆な愛と性の描写でセンセーションを呼んだイタリアの女流監督リリアーナ・カヴァーニ。彼女が次の作品として1977年に発表したのが本作だ。日本では数年後の1985年に英語版が『善悪の彼岸』のタイトルで公開された。しかしその当時の検閲事情もあり、性描写を中心として40カ所以上に渡り、修正が行なわれた。今回のイタリア語ノーカット版は、英語版よりも11分ほど長い上、ほとんどの場面が無修正に戻されている。自由を求めるルーは魅力的だが、それは同時に彼女を愛した男たちの心を傷つけていくことでもある。男たちとルーとの間の愛情、そして男同士の愛情…。ルーの前では男の方が精神的にも脆く、男女の立場が逆転しているようにも見えるし、また全体をホモ・セクシャル的空気が支配している。デカダンな重苦しい雰囲気は、70年代のヨーロッパ映画特有のものだ。当時人気絶頂だったドミニク・サンダの美しい姿も見もの。

» ルー・サロメ -善悪の彼岸 ノーカット版- 

2006年の上映に続き、2007年にDVDが発売されました。しかし正直、このパッケージはあんまり好きではありません…。ドミニク・サンダも変な顔してると思うし。


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